新版 親ができるのは「ほんの少しばかり」のこと—山田太一

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脚本家、小説家の山田太一が自分の子育て経験をもとに親として、延いては人間として、賢く生きるにはどうしたらいいかを考え、紡いでいく。

短期的に見れば「悪」としかいいようがなきものを通過する時間を子供は必要としていたりするのです。

私が勝手に「山田イズム」と呼んでいる心地よい諦観と含羞。傍でとやかく言うより、山田作品に関しては読んで・・・というのが本音。でも、それじゃあインプットの意味がないので、長くなりますが書きますね・・・。

山田さんは超がつく読書家で、本の中に哲学者や作家の引用がたくさんある。これがちっとも偉そうじゃない。私が未だ読めない難しい文献を嚙み砕いて(生活レベルに落とし込んで)教えてくれるような感覚で、読んでいて気持ちがいい。

それから、生活思想がとにかく素晴らしくて、毎度のことながらひれ伏してしまう。この本に限らず山田さんの根底にある思想で、”努力すれば夢は叶う”ということへの否定がある。(これは後に読んだ本で知って驚いたのだけれど、北野武さんもまったく同じことを著作で書かれているのですね)努力すれば夢は叶うというのは、夢がかなわない人にお前の努力が足りないんだと、ナイフを突き出しているのと同じだと私も思って大きく頷いてしまうのです。そのほかにも、

サービス業の方なんかと接すると、とてもニコニコして丁寧で、「さようでございますね」なんてことばかりいう。「そんなわけはないだろう」という感じがして、つまりそんなことをいって、その人はいろんな自我を持っているのに、それを表に出さないわけですね。当然のことでしょうが。ときには、不気味さとひんやりしたものさえ感じることがあります。
(中略)

そういう孤独感みたいなものが、ぼくはいまの社会には濃いって気がします。誰かの本音を知りたくて、サディストになる人もいるんじゃないかと思いますね。痛いということは、ちょっと偽れないですからね。

この部分を読んで、誰かを攻撃することで慢性的な孤独を紛らわせ、自我を保持している人が、実は(ことSNSを見渡すと)多いんじゃないかと、そんな風に思いました。

私が山田さんのエッセイに心酔してしまった理由は、こういう日常生活の中の小さな違和感を考えるきっかけになる「言葉」を与えてくれるからなんですよね。もちろん脚本、小説も素晴らしく、山田さんの言葉は、今読まれるべきだし、いつ読んでも古くならない(過去の作品がそうであるように)だろうと思います。往年のライバルである倉本聰さんもやすらぎの郷を書かれたことだし、さて山田さんも今を切り取ってはくれないだろうかと、一ファンは待ち望んでおります。

この本一応子育てについての話がメインで、そのどれもが本当に素晴らしいのですが、その部分はまたいつか別に書くということにします。ほらねやっぱりまとまりがない・・・。