気がつけばチェーン店ばかりでメシを食べているー村瀬秀信

f:id:pgspecial:20170526220843j:image

雑誌「散歩の達人」の人気エッセイ。吉野家、王将、牛角日高屋・・・35店のチェーン店を、褒めたり褒めなかったり、崇めたり崇めなかったり。

雰囲気のいいお店! 知っています! 美味しい定食屋! よく行きます! センスのいい個人店! お任せください! 高級店? たまには行きますとも! だけど、違うのです。僕は気がつくとチェーン店にいます。いつも。いつも。

このタイトルを見て、「そうだ」と思わない人、このご時世にいるんだろうか・・・。喫茶店やカフェに行くとき、足はチェーン店に向いている。私はタバコ嫌いなので、禁煙であるという理由でスタバによく行く。悪いことをしているわけじゃないのに、チェーン店に入るというのは、なぜかほんのちょっとだけ後ろめたいような気持ちがある。そして、チェーン店に入るとき、勝手知ったるもてなしに、なぜだかすごく安心してしまう。

この本は35店のチェーン店を食べ解いている。かなりふざけてみえる。だけど、よく考えたらおかしいよね…というところに企業の経営戦略まで踏み込んでツッコミをいれたり、それでいてライターというよりあくまでも客の目線であれこれ書くのがおもしろかった。そして著者が各チェーン店で泣き笑い、そして単行本発売から文庫化までの間に家族を作り、ファミリーレストランにファミリーで行くようになった様子は、さながら一人の男性のドラマを見ているようだった。(それを期待して読まないように)

あとイラスト(サカモトトシカズさん)がとにかく下世話な感じがあっていい。公共交通機関で読んでいると、おじさんやサラリーマンたちがちらちらのぞき込んでくるのがおもしろかった。うんうん、わかるぞ。

新版 親ができるのは「ほんの少しばかり」のこと—山田太一

f:id:pgspecial:20170514212858j:image

脚本家、小説家の山田太一が自分の子育て経験をもとに親として、延いては人間として、賢く生きるにはどうしたらいいかを考え、紡いでいく。

短期的に見れば「悪」としかいいようがなきものを通過する時間を子供は必要としていたりするのです。

私が勝手に「山田イズム」と呼んでいる心地よい諦観と含羞。傍でとやかく言うより、山田作品に関しては読んで・・・というのが本音。でも、それじゃあインプットの意味がないので、長くなりますが書きますね・・・。

山田さんは超がつく読書家で、本の中に哲学者や作家の引用がたくさんある。これがちっとも偉そうじゃない。私が未だ読めない難しい文献を嚙み砕いて(生活レベルに落とし込んで)教えてくれるような感覚で、読んでいて気持ちがいい。

それから、生活思想がとにかく素晴らしくて、毎度のことながらひれ伏してしまう。この本に限らず山田さんの根底にある思想で、”努力すれば夢は叶う”ということへの否定がある。(これは後に読んだ本で知って驚いたのだけれど、北野武さんもまったく同じことを著作で書かれているのですね)努力すれば夢は叶うというのは、夢がかなわない人にお前の努力が足りないんだと、ナイフを突き出しているのと同じだと私も思って大きく頷いてしまうのです。そのほかにも、

サービス業の方なんかと接すると、とてもニコニコして丁寧で、「さようでございますね」なんてことばかりいう。「そんなわけはないだろう」という感じがして、つまりそんなことをいって、その人はいろんな自我を持っているのに、それを表に出さないわけですね。当然のことでしょうが。ときには、不気味さとひんやりしたものさえ感じることがあります。
(中略)

そういう孤独感みたいなものが、ぼくはいまの社会には濃いって気がします。誰かの本音を知りたくて、サディストになる人もいるんじゃないかと思いますね。痛いということは、ちょっと偽れないですからね。

この部分を読んで、誰かを攻撃することで慢性的な孤独を紛らわせ、自我を保持している人が、実は(ことSNSを見渡すと)多いんじゃないかと、そんな風に思いました。

私が山田さんのエッセイに心酔してしまった理由は、こういう日常生活の中の小さな違和感を考えるきっかけになる「言葉」を与えてくれるからなんですよね。もちろん脚本、小説も素晴らしく、山田さんの言葉は、今読まれるべきだし、いつ読んでも古くならない(過去の作品がそうであるように)だろうと思います。往年のライバルである倉本聰さんもやすらぎの郷を書かれたことだし、さて山田さんも今を切り取ってはくれないだろうかと、一ファンは待ち望んでおります。

この本一応子育てについての話がメインで、そのどれもが本当に素晴らしいのですが、その部分はまたいつか別に書くということにします。ほらねやっぱりまとまりがない・・・。

ムーミン谷の彗星—トーベ・ヤンソン

f:id:pgspecial:20170514214802j:image

ある雨を境に、ムーミン谷を覆う世界がなんだかいやにどす黒くなってしまいました。地球を粉々にしてしまう危険な星、"彗星"が近づいてきたらしいのです! ムーミンとスニフはどうしたらいいのか答えを探しに旅に出ますが、旅の間も彗星はじわじわと近づいてきます・・・

心配するな、うまくいくよ。しかし、もうちょっと速く歩けよ。いまは、いそがしいんだから。

怖い! うららかなムーミン谷は、大雨を境に黒ずみ暗くなってしまう。大人も、もちろんこどもたちも、そして私も不安でソワソワする。冒険中もジワジワと彗星が近づいてきてハラハラ怖かった。なによりも驚いたのは、登場人物(?)たちがみんな「いやなやつ」であること。人の嫌がることを言ってみたり、嫉妬したり、偏屈だったりする。きっとそれがムーミンたちが、ともすれば人間よりも人間的であることの一番の鍵だ。話が脱線するが、私の愛する『男はつらいよ』はよく「良い人しか出てこない」と腐される。私はいちいち憤慨する。まず第一にそんなことないからだ、けど熱くなっちゃうから、今日は置いておく・・・。落語を"人間の業の肯定"だと言ったのは立川談志だけど、私は男はつらいよの世界もそれに等しいと思っている。そしてこのムーミン谷もそうだろうと思ったのだ。人間は完璧ではないことに、ワクワク楽しみながら気付かせるなんて・・・児童文学、いい(いまさら)。


無限の住人—三池崇史

f:id:pgspecial:20170514220423j:image

人斬り万次(木村拓哉)は、自分のせいで精神を病んだ妹まち(杉咲花)を目の前で殺された挙句、不死の体にされてしまう。生きる意味を失ったまま時を過ごしていた万次の前に、まちに生き写しの少女凛が現れる。凛は剣客集団に両親を殺され、仇討ちの用心棒を依頼するために万次のもとを訪ねたのだった・・・

俺は誰を斬ればいい

時代劇と思って見に行ってはなりません。アクション映画ですどこまでも。時代設定はたぶん江戸…。言葉遣いや衣装、武器、漫画だと許せるフィクションが、映画では生活感の裏付けがないと違和感になってしまう。映画ってなんて厄介なんだ。木村拓哉は悪くなかったと思います。あんなに弱いとは予想外だったけど、男前だったし着物がよく似あってた(逆に福士蒼汰は足が長すぎ腰も肩も細すぎて着物が似合わない)。ちなみに私は友人に「最初は最高」と言われて見に行きました。その言葉に偽りなしです。

Der Kongreß tanzt—Erich Karl Löwenberg

會議は踊る

f:id:pgspecial:20090503124045j:plain

クリステル(リリアン・ハーヴェイ)は、ウィーン会議のために訪れた各国首脳に花束を投げ、自分の勤める手袋屋の宣伝していた。ある日ロシア皇帝(ヴィリー・フリッチ)めがけて投げた花束が爆弾と間違えられ、クリスタルは捕らえられてしまう・・・

この世に産まれてただ一度 このすばらしき まさに夢・・・

ミュージカルとはまたひと味違う、陽気な音楽映画。お話もウィーン会議(歴史)への風刺のなかに、プリティーウーマンやシンデレラのような夢物語が描かれる。とにもかくも美しすぎる撮影にため息。馬車でお城に向かう移動撮影は、今やろうと思っても難しい最高のシーン! 推測だけど、ラ・ラ・ランドの監督デイミアン・チャゼルは音楽も撮影も意識しているはず。会議の決議の時、椅子が揺れる(その理由は見てほしい)、こういうカットを見られるから、映画はやめられない…。


1931年公開、ドイツ、監督エリック・シャレル) 

Das Kabinett des Doktor Caligari—Rovert Wiene

カリガリ博士

f:id:pgspecial:20170508010753j:plain

フランシスが、友人アランと町のお祭りへ行くと、眠り男の目覚めを披露するカリガリがいた。目を覚ました眠り男は「アランの寿命は夜明けまで」と予言してみせる。そして、アランはその晩、連続殺人鬼に殺される! 断固カリガリと眠り男が怪しいと、捜査を進めるフランシス。辿り着いた答えは・・・

“I must know – I will become Caligari!”

父親にもこれはおもしろいぞ~なんて言われていて、楽しみにしていたのをようやく鑑賞。まさに、まさにの傑作でした。どこまでも不気味なのに、かっこよくて、こんな表現があっていいのか! と、脳細胞がびっくりして思わず直立、拍手喝采。人間も物事も見る方向を変えれば、見えるものがまったく違う。そんな不安定さの表現、ドイツ表現主義はとにかくすばらしかった。今、見えているものが本当に正しいのかと常に問いかけてくる、最高級のサスペンスだと思います。

1920年公開、ドイツ、監督ロバルト・ヴィーネ) 

 

 

Morocco―Josef von Sternberg

モロッコ

f:id:pgspecial:20130725164458j:plain

外人部隊の女たらしトム(ゲイリー・クーパー)は駐在地のモロッコで、美しい舞台歌手アミー(マレーネ・ディートリヒ)と出会う。惹かれあう二人だったが、アミーは大金持ちのベシエール(アドルフ・マンジュー)から求婚される。女遊びの懲らしめとして、前線に送り込まれることになったトムが町から去り、アミーはベシエールとの結婚へと踏み切るのだが・・・

女にも外人部隊があるのよ。ただし制服も軍旗もない。勲章ももらえない。傷ついても保障はないわ。けれど勇敢よ

シーンもセットも少なくて、恐らくかなり低予算で作られているのだけど、演出や演技がとてもきめ細やかで、撮影もモロッコの蒸し暑さが出ていてとてもいい(行ったことないから実際は知らないけどさ)。アミーの歌以外、音楽はほとんどマーチングドラム。このドラムがめちゃくちゃよくて、ベシエールの豪邸で結婚披露宴をしているとき、遠くからドラムがかすかに聞こえて、アミーがいてもたってもいられなくなってくるというシーン。これぞ演出という名シーン! ラストシーンの美しさは言わずもがなでした。

(1930年公開、監督ジョセフ・フォン・スタンバーグ